児童虐待(子供の心はガラス細工の様)

一家そろって関東に移住、その先に待ち受けるのは・・・

彼は生まれ育った地で小学4年生を終え、春休みに入った。
その頃には引っ越しの準備も終わり、寂しさを感じていた。

 

関東までの移動手段は飛行機か?新幹線か?
いや、車だった
父親が車で皆で行きたいと我を通したのだ。
もう誰の言うことも聞きやしない
 彼は断腸の思いである

 

「本当に行かなければならないのか」
もう本当に助けてくれる人も話しを聞いてくれる人もいない、
まあ元から誰も助けてはくれなかったがね

 

彼の記憶に残っているのは、出発前に母の兄の所へ挨拶に行ったこと。
親戚の中でも一番お世話になった伯父と叔母だ。
車旅は子供たちが退屈だからと、漫画やらお菓子やらをくれた。

 

お別れだ・・・

 

人生経験の少ない彼にとってみれば永遠の別れにも等しい。
彼は笑わない、無表情であったと思う
伯父と叔母と従妹たちに別れを告げ、彼らは関東へ出発した。

 

道中父は観光気分だ、やれ下関だ、やれ関門海峡だと自慢げに車を走らせた。
高速道路はとてもつまらなかった
父もいつ怒り出すかわからない、病気を患っている母もいつヒステリーを起こすか分からない。
緊張しっぱなしの車内である。
幼い弟だけがのんきだった。

 

走りに走って午前0時過ぎ、予約していた旅館(旅館というにはちょっと違うような感じもしたが)
に到着。
入り口には張り紙がしてあった、”料理は出せないが入って休んでください”的なことが。
風呂にも入れなかったが、仕方がない、布団に入って早々に眠りについた・・・

 

 

 

 

 

車de関東2日目

 

次の日目が覚めた
不思議と夜尿はしていなかった 奇跡だ
普段、夜尿が無い日など無かったから

 

すると、父がこっちへ来いと誘っている
行ってみると、朝食が準備されていた。
普通の和食で味は覚えていない
言われるがまま食べないと怒られるからとにかく食べた
腹は減っていなかったが。
その後、風呂に入って早々に出発した。
特に観光するわけでもなく走り続けた
途中何度かパーキングに寄ったが親戚のおじちゃんに
もらった本に夢中で車から下りることはなかった。
これが最悪の事態を招くとも知らずに

 

 

 

 

 

今考えれば、大阪や京都なんかに少しくらい寄っても良かったのではないかと思う。
ひたすら走り続けた、わき目も振らずに。
やがて日は暮れて夜になった、父母は間に合うとか合わないとか話していた
急ぎだったのだろうか?
ついに東京へと入った、首都高速だ。
子供でもなんとなく分かった
だんだん
だんだん
彼は尿意を模様してきた、そう
昼間パーキングでトイレに行っていなかったのだ。

 

母に尿意を伝える、父は「ここはトイレはない」と言っている。
そのまま走り続ける
奴らが迫っている、彼の出口に・・・
彼は尿意を紛らわすために体を揺さぶったり飛んだり
アレを抑えたり必死だった。
しばらく走り続けて、父が痺れを切らしたのか、首都高の細いエスケープゾーン
の様な所に停車した。
父「そこでして来い」
母「なんいいよんね」
彼「明らかに漏れんばかりの勢いで車から飛び出ると、車の影に隠れて過去最大の
勢いで放出した。
量も半端ではない

 

やがて尿は彼の足元へだどりついた

 

母はそれを見逃さなかった
母「お〇っこが足にかかりようが!」
彼「見られてしまった・・・」
母「汚い!車にのらんで!」
父「はよ乗れ!」

 

彼はこの状況で置いて行かれるわけには行かないのでさすがに
車に飛び乗った。

 

母は大騒ぎだ

 

汚い!何でもっと遠くでせんとね!?
散々大騒ぎして、ヒステリーになって大変だった。
強迫神経症なのでこれはいたし方のないことだけれど
子供からしたら嫌なものだ

 

早々しているうちに父がどこかの駐車場に入った。

 

予約はしていないけど、ビジネスホテルに飛び込みで入った。
幸い部屋が空いていて、止まることができた。

 

彼は姉と二人で部屋を使った。

 

両親のいない空間とは何と居心地が良いものかと
彼は思った。
風呂に入り、夕食を済ませてベッドに入って暫く姉と話しをして
その日は眠った。

 

本当はビジネスホテルに泊まる前に新居に到着している予定だったのだろう。

 

翌朝10時にはチェックアウトして新居へ向けて出発した。
この日も何故か夜尿は無かった。
ちなみにホテルでの宿泊客からの目線がすごく気になった
「何で子供が?家族連れ?」などとおもわれたのだろう。

 

そして、新居に到着した。
綺麗な部屋に彼は喜んだ
それもそうだ、本家を出てからというもの
汚いナメクジやネズミが出るボットン便所の家に住んでいたのだから。

 

だが、今考えると家族4人で2DKは狭すぎた。
後々知ったのだがこれは新しい会社が用意した部屋(社宅)であった。

 

引っ越し屋さんも到着して家具をどこに置くかなどそれはそれで新鮮だった。

 

彼はまだその部屋が地獄の入り口になるとは思いもしなかった。

 

 

 

 

 
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